解説玉造温泉の歴史

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玉造温泉の歴史は古く、奈良時代初期の開湯と伝えられ、日本でも最古の歴史を持つ。大国主命とともに国造りをした少彦名命が発見、神代の頃からあったと言われている。

「出雲風土記(733年)」にも記載があり、神の湯として人々に知られ、川辺に湧き出す湯に老若男女が集った。

平安時代には、「玉造」の名は京の都にまで届き、貴族の間でも評判であったと「枕草子」にも記載がある。

江戸時代には、泉質もよく環境にも恵まれた玉造温泉に松江藩が別荘「お茶屋」を設け、代々の藩主が静養に訪れている。

この頃には、温泉の管理者「湯之介」という役職が設けられ、玉造温泉でも元湯・公衆浴場の管理、湯賃の取り立てなどを松江藩から任された「湯之介」が大きな力をもち玉造温泉の一切を取り仕切った。その支配は明治維新で松江藩が解体されるまで続いた。

「湯之介」の支配がなくなり、温泉掘削も自由になると、各旅館が競って源泉を掘るようになった。

明治42年には松江宍道間の鉄道が敷かれ、明治45年には山陰線京都今市間が開通。交通の便も良くなり、全国からお客様を迎えられるようになり、温泉地は発展した。


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